概要~ビジネスの発想が変化したナナクロ世代~
株式会社ひまわりライフ代表 浦﨑 正勝さんは、1976年(昭和51年)3月23日、神戸市舞子生まれ。
いわゆる「ナナロク」といわれる世代で、1976年前後に生まれた人たちを指すのだが、この世代からはそうそうたる顔ぶれの起業家が誕生している。
社会に出たころにインターネットの普及が始まったため、お客様の立場からビジネスを発想することができるといわれ、上の世代にはない感覚を持っているのが強みだ。
確かに、同社ホームページの事業内容も楽しい表記にあふれている。
・おしゃれで快適な空間にするお庭
・家族で憩う・ワンちゃんのためのガーデンルーム
・必要なくなった空間に駐車場増設
まさに目線がお客様。
そこにいる自分を具体的にイメージ出来るような表現と写真の数々が、多くのお客様の心をとらえてはなさない。
神戸市で外構・エクステリア工事を手がけ、施工実績を伸ばし、最近はプールのあるリゾートガーデンを提唱するなど、今、注目の会社 株式会社ひまわりライフ代表取締役社長 浦﨑 正勝さんに、話をうかがった。
家業を継いだわけでもない。裸一貫、ゼロからのスタート。
成長の秘密はどこにあるのだろうか。
第1部 事業誕生まで ~ヒーローからの転落。そして事業誕生まで~
1-1 絵に描いたようなヒーローからの転落
「いつから、挫折してしまったんだろう」
インタビューの合間に、浦﨑社長は何度も首を傾けた。
一般的なサラリーマン家庭の長男として育ち、小学生のころは少年野球に明け暮れた。1番、キャッチャー。「しまっていこう!!」の自分の声で全てが始まる。試合が終わるまで気を抜けない緊張感が好きだった。首位打者になったこともあった。
スポーツだけではない。幼いころから音楽や演劇にも才能を発揮し、小4の夏休みには、大阪の国立文楽劇場の舞台に立ったこともある。船場の四姉妹を描いた華麗な舞台『細雪』に子役で出演。四女は桜田淳子さんだった。この舞台を最後に芸能活動をやめるが、同じく子役だった岩﨑ひろみさんは、朝の連続ドラマ『ふたりっ子』で主演を演じるなど有名人だ。
運動神経も良く、歌も上手くて、演技もできる。友達も多く、まさにヒーローだった。
中学校に進学。野球部に入部し、はじめはレギュラーだった。1番セカンド。
だが、彼にとってはポジションに納得いかない。
キャッチャーへの、強いこだわり。
「小柄だったし、普通に考えればセカンドですよね。でも、どうしても譲れなかった」
その頃、運悪く視力も急激に落ちた。
何もかもが嫌になった。
中2で野球部を退部する。
「そこからは、目的もない、何がしたいのかもわからない、学力も落ちて。暗い人生がはじまったんです」
ヒーローから一転、転落人生のはじまりだった。
1-2 「覚醒!」人生の目標見つけ高2で社会へ飛び込む
こんなはずじゃなかった。
何がしたいのが、どう生きて行きたいのか、目的もない毎日。
中学校を卒業して、周りから言われるままに、公立の工業高校と進学。
高校生になっても、特にやりたいこともないまま、アルバイトに精を出していた。
夏休みに神戸市内のガソリンスタンドでアルバイトをしたときのこと。
1カ月のバイトを終えた最終日、店長からバイト代125,000円が手渡された。
「125,000円!!!」
見たこともないような大金。15歳の少年は、バイト代を手にした瞬間に「覚醒」したという。
「もっと稼ぎたい!」
稼いだバイト代で買ったのは、140,000円の50CCバイク。
「バイクを自分の力で買ったという優越感を覚えました。お金を稼ぐということを意識したのは間違いないと思います」と振り返る。
稼ぐことに覚醒した浦﨑少年、いろいろなアルバイトを続けながら、ついに、その日がやってくる。
高校2年生の夏休み、今度は造園工事のアルバイトに。小中からの幼なじみが旅行に行く代わりのピンチヒッターとしてたまたま出会ったバイト。毎日、散水車から街路樹に水をまくだけの作業。簡単で楽。これで日当8,000円。受け取ったバイト代はこれまた、16歳の少年にはとてつもない大金だった。
親方は29歳。高校を途中退学し造園土木業を自分で興した人だった。
格好良かった。
「1分1秒を大事にしろ」「言いたいことは厳選して報告しろ」「働いたら金になる」「学歴やない」
一言、一言が少年の心に響いた。
「まさに、覚醒という言葉がぴったりでした。人生の目的を見つけたというか、高校に行っている場合じゃない、働こう、もっと稼ぎたいと思ったんです」
2学期、始業式。少年は夏休みに染めた金髪のまま登校する。
学校に行くなり、もちろん教諭の指導が入る。
「黒く染めてこい」
カチンときた少年はその場で退学届を書き、学校を後にする。
悔いは無かった。
後日談。このときの教師が、後に、わが子が通う高校に赴任していてクラブの顧問だと知った。
「世の中、おもしろいですね」と懐かしむ。
1-3 「働いたら金になる!」限界を超えてがむしゃらに生きた10代。
16歳の9月、高校を中退し、浦﨑さんはすぐに親方の造園工事会社で働きはじめた。
夏休みのアルバイトと同じ楽な仕事だろう。
甘い気持ちで働き始めたが、実際にはとんでもなかった。
仕事は、巨大なマンションや団地の造園で、外周、公園、樹木、芝生、花壇ととにかく広い。やっと工事が終わったと思っても今度は水やりもある。連日夜通しの過酷な作業が続いた。
「考えてみれば、高校生のアルバイトだから楽な仕事をまわしてくれていたんですよね。子どもだったから、そんなことも分からなかったわけです」
親方の会社は、公共工事の入札業者の下請けだった。
明るくて威勢が良かった親方は、業者からも好かれ仕事がバンバン回ってきた。受けた仕事はドンドンこなしていく。
当然、浦﨑さんの仕事も増えていく。
土地開発に伴う公共工事だ。一つの造園現場だけでも規模が大きく、10社ぐらいが関わって大人数で回していく。
当然、浦﨑さんが一番の年下。上は80歳代の超ベテランもいる。
造園は分からないことばかりだ。
1本の木を植えるだけでも大変。
木を植えるためには穴を掘らなければならない。
寸法を測って、穴を掘って工事写真を撮る。
木によって異なる肥料や土地改良材を入れる。工事写真を撮る。
大きなトラックで搬入されてきた木の樹形をチェックして、剪定して、工事写真を撮る。
この作業が延々と続く。一晩中、写真を撮り続けたこともあった。
ベテラン勢には「おにいちゃん、おにいちゃん」と、とにかくかわいがられた。現場助手をしながら、浦﨑さんは、先輩に教えてもらい、これらの作業をどんどんこなしていくようになる。
「たとえばクスノキだけでも、1本100万円と高価なんですよ。震えますよね。それでも剪定してましたからね」
樹木名、幹の太さ、性質、剪定方法までマスターして、やがて、現場をまかされるほどに成長していく。
浦﨑さんには忘れられない思い出がある。
親方の会社で仕事を始めて1日目。
神戸市北区鹿の子台のマンション開発の現場。
山のように積まれた「ホワイトローム(土地改良材)」と「兵庫のバーク堆肥」500袋。ただひたすら現場写真を撮る助手をするのが仕事だった。
袋の山に座って一人、弁当を食べた。母親に作ってもらった弁当。容赦なく照りつける太陽。疲れ切っていた。
「16歳で高校やめて申し訳ないなぁ。高校のみんなは何をやっているのかなぁ」
両親を思い、友だちを思い、後悔した。
しかし、それも一瞬だった。
次の瞬間には、もう逆のスイッチが入っていた。
「やるしかない。1日8,000円や。今は友達より稼ぐんや!リッチになるんや!」
めらめらと燃えさかる炎が見えた。まるで劇画のように。
「夏休みのアルバイトで、すっかり親方に洗脳されていたんですね」と笑う。
「働いたら金になる」「学歴やない」「1分1秒を大事にしろ」「言いたいことは厳選して報告しろ」は親方の口癖。
少年にとって、親方は思い描く人材像だった。
16歳で働き始めた少年は、めきめき力をつけて、18歳のころには現場では管理者になっていた。
当時としては珍しい携帯電話もいち早く持っていた。
よく働き、金をもうけて、よく遊ぶ浦﨑青年は、20歳で結婚する。
短大を卒業後、百貨店で働く3歳年上の女性。
妻の父親は大反対。目も合わせてもらえなかった。
「幸せになりたい。もっと稼ぎたい」結婚も仕事の原動力になっていった。
子供は息子が2人(21歳大学生と17歳高校生)。
自ら、がむしゃらに生きてきた。でも、息子には息子の生き方がある。
息子たちが当時の自分の年齢になってくると、経験と重ねあわせながらどう育てたらいいのかと自分の人生を分析している。
16歳で高校を中退し、「金持ちになりたい」という気持ちを原動力に、仕事をしてきた。楽してはだめだ。
42歳になった今思うことは、これから先も努力して限界を超えていったらどれぐらい成果があるのだろうか。やりたいことはまだまだある。
1-4 阪神・淡路大震災
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が住んでいた神戸を襲う。団地の5階、自宅のドアを開けたら階段が真っ二つになっていた。
誰とも連絡が取れない。
市内の高速道路が倒壊して、会社にも行こうにも行けない。
実家の鳥取に帰省して不在だった親方の代わりに、まずは、神戸にいた親方の家族のところに直行して無事を確認。
そのあとのことはよく覚えていない。
激震地区を歩いた。
あちらこちらで、人ががれきの下敷きになっていた。
助けることもできない。まるで、漫画で見た『はだしのゲン』のようだと思った。
震災で、仕事は復興工事一色になった。
まずは、道路を通れるようにする。ダンプにユンボを積んで現場に行き、ブロック塀やがれきを撤去していく。
高校を卒業した同級生たちが仕事を手伝ってくれるようになった
「自分はユンボの操作がうまかったので、一緒にチームを組んでやってましたね」
がれき撤去の復興工事は約半年で落ち着いた。
復興工事の実績もあり、会社は有限会社となり、親方は社長になった。
16歳で働き始めた少年は、めきめき力をつけて、18歳のころには現場では管理者になっていた。
「自分が親方だったら、ここをどう仕切るだろうか」
いつからか、そう考えながら仕事をするまでに成長していた。
浦﨑さんにとって、26歳で独立した親方は思い描く理想の人材像だった。
親方が自分を成長させてくれたことを、自分も試してみたいと思い始めていた。
やがて20歳で結婚し、21歳で長男が誕生する。
「長男が生まれたということが、自分の人生の中で大きかったです。とにかく、がむしゃらに働こうと思いました」
22歳11月、浦﨑さんは親方のもとを離れ、半年後の4月25日、23歳でひまわり造園土木を立ちあげる。
ひまわりは震災復興のシンボルの花だ。
第2部 運命の出会い~独立から株式会社ひまわりライフ設立まで~
2-1 植木のさんぱつ、いかがですか?
運命を変えた1枚の黄色いチラシ
1999年、23歳で親方のもとを離れ独立。同年4月25日には「ひまわり造園土木」として事業申請し晴れて事業主になった。
とはいえ、人材もない、お金もない、請求書一つ書いた経験もない、何より仕事がない。
あるのは、「自分はできる!」という強い信念だけ。何の裏付けも根拠もないのだけれど、なぜか自信だけはあった。
とにかく仕事をしなければならない。すぐにできて、収入に結びつきそうな技能は庭木の剪定。
まず10,000円で中古の軽トラックを購入した。ホームセンターの大売出しの列に早朝から並んで5,000円の脚立、22,000円の物置をそろえた。道具を置く空き地を月5,000円で借り拠点ができた。
お金のない中、苦労してそろえた大切な道具。「手入れをして、すさまじく大事に使いましたよ」
道具を大事にする――それは今も変わらない。
次はPRだ。
仲間がイラストを描いてくれた。
「植木のさんぱつ、いかがですか?」浦﨑さんが手書きのメッセージを加えてチラシを作った。
コンビニの10円コピーで50枚500円分のチラシを作り、庭木のある大きな家を選んで一軒一軒ポスティングをしてまわった。目立つように黄色の紙にコピーして。
配り終わらないうちに、自宅の電話が鳴り始めた。
「チラシは身の丈にあったレベルで作る。盛ったらあかんのです」
「身の丈」にあった、この黄色い1枚の手作りチラシが、「ひまわり造園土木 」の運命を大きく変えていくことになる。
チラシを見て、手広く電気設備工事を手がける会社から電話が入った。
「明日、社にきてほしい」
たまたま自宅のポストに入ったチラシを見た同社の会長が、イラストを見ると若そうだ、使えるかも知れないと、一度下請け面接して確認してみるようにと社員に声をかけたのだという。
期待された仕事は、同社が架空送電線工事を行う前に、電線にかかりそうな街路樹の枝葉を切りそろえていく作業。電線には6600Vもの「電流」が流れる。危険を伴う仕事だ。
「街路樹の剪定はできるか?」
「できます!」
「すぐにやってもらいたい仕事がある」1ヶ月後に連絡があった。
「ドキドキしながら現場に行きました。高校時代の同級生2人に声をかけて、10,000円で買った軽トラに道具を積んで。今振り返ると、『すぐにやってもらいたい』って言うのは1回やってみろという現場面接のようなものだったと思います」
浦﨑さんにとって、樹木の剪定は得意中の得意分野。経験も豊富だ。
このときの「腕」を買われて、仕事がどんどん回ってくるようになった。
「会長が声をかけてくれなかったら、今の自分はない。本当に感謝しています」と振り返る。
独立して「植木のさんぱつ」からスタートし、電線にかかる樹木の剪定で収入が安定していった。
収益の柱が一本立ったころ、浦﨑さんはまた新たなチャレンジを始めることになる。
2-2 日給12,000円で下請けに。外構工事を夢中で学ぶ
23歳で独立し、はじめて作った1枚の黄色いチラシから、電気設備工事会社の下請けになった。チャンスを逃すことなくロケットスタートを切った「ひまわり造園土木」。
仕事も多く受注し収益も安定してきた。
だが、ここで満足しないのが浦﨑流。
神戸市に最新の外構設備を整えたおしゃれなエクステリア&ガーデンの展示場の会社があった。
ここに飛び込み営業に行く。
会社には、たまたま一人、社長だけがいた。
「何や?」
「この会社の下請けで働く職人の下請けで植栽関連の仕事をさせてください」
「お前みたいな若造に何ができるんや」
「何でもします」
「なんぼいるんや」
「いくらでもいいです」
「1日12,000円でええんやな(軽トラ・道具などの経費込み)。じゃあ、下請けの親方衆に声をかけとくわ」
<
「はい!」
即答だった。当時、浦﨑さんはすでに、1日売上10万円位の仕事をしていたにもかかわらず。
こうして、この外構業者の下請けの下請けとしての仕事もすることとなる。
直後から親方衆からの仕事の電話があちらこちらからかかってきた。なんせ、12,000円。格安だ。
「安くても構わなかったんです」
目的があった。外構工事の勉強をするためだった。
外構工事だけではない。デザインの描き方、営業、チラシ作りや新聞折込、ポスティングなどの販促活動など、学ぶことはたくさんある。夢中で勉強し身につけていった。
命がけだった。植木工事と外構工事、両方をこなしていくと休みはほとんどなかったが、本気で外構工事を学んでいった。
「お前みたいな若造に何ができるんや」と言った社長だったが、周りには「浦﨑は大物になる。度胸が違う」と話していたと人づてに聞いたのは、ずいぶん後になってからだった。
2-3 法人化。下請けからの脱却宣言。「外構工事」1本で食っていく!
2003年、有限会社ひまわり造園土木を設立。
法人化の際に浦﨑さんが目指したのは、下請けからの脱却と、B to C、つまり個人のお客様に直接サービスを提供することだった。下請けの仕事を残していたら甘えが出てしまう。収益の柱でもあった電気設備工事会社の下請け業務部門をなくし、ただ同然で命がけでノウハウを学んだ「外構工事」1本でスタートした。
同年、展示場もオープン。
いち早くCADを導入し、ホームページも開設した。
2006年2月、株式会社ひまわり造園土木へ組織変更。資本金は1,000万円。
この年5月から会社制度が改正され、資本金1円でも会社が設立できるようになったが、浦﨑さんは、あえてその前の制度のもとで株式会社を設立したかった。資本金1,000万円の値打ち。取引先が謄本をみたときに立派な会社だと思ってもらえるように。
株式会社にしてからは、投資して大きな事業展開ができるようになった。
売り上げも着実に伸び、地域ナンバーワンの外構工事会社へと急成長して行った。
順風満帆。
しかし、名が売れると、足を引っ張る勢力も出てくるのが世の常。
嫌がらせや脅し。対応に追われ仕事にならない日々が続いた。
ピカピカの展示場が何者かにペンキをばらまかれたこともあった。
浦﨑社長、当時30歳。まだまだ未熟だった。びびって、嫌になって、落ち込んで、ブログも閉じた。傍目にも分かるほど、どんどん痩せていった。
「ずっと職人でやってきて、社長になって、会社が有名になって。ちょっと調子に乗っていたんです、今思えば。脇が甘くなって、つけいられたんです」
怖さに屈することなく、反社会性力は排除するという毅然とした態度が必要だ。
浦﨑さんは気持ちを強く持ち、顧問弁護士をつけたり、組織を整えたりして、難局を乗り越えていく。
この1年後の2009年、社名を株式会社ひまわりライフに変更。
「1からやり直し!」浦﨑さんの更なる挑戦が始まった。
2-4 外構の提案から、ライフスタイルの提案、次なる挑戦へ
1999年に独立し、10年後の2009年、株式会社ひまわりライフを設立。
10年前、「植木のさんぱつやさん」からスタートし、園芸工事→外構工事と業態を拡大してきた。
その後、同社はさらにスピードを上げて業績を拡大していく。
2010年山口支店オープン(その後、地元企業に譲渡)
2011年中国(上海)進出
大手メーカーと共に合弁会社を設立し、大規模な展示場をオープン。事業を3年間行うも撤退。4000万円の赤字となった。一方で、現地の生命力、活力に学ぶことも多かったという。
2013年国道176沿いに北神戸店オープン(2016年、新名神高速道路橋桁落下事故にともない閉店)
2014年展示場の大規模リニューアル
2015年リゾートガーデン展示場オープン。プール事業への本格参入。
外構工事にとどまらず、ライフスタイル全体にかかわる工事へと事業が広がっていく。まさに、社名「ひまわりライフ」そのものの展開だ。
来年2019年、独立から20年を迎える浦﨑社長の目には何が見えているのだろうか。
第一に上げたのは、社員の意識向上。
目まぐるしく急成長し業態を変えてきただけに、そのスピード感に追いついて欲しいと願う。むしろ、先を行くような意識の改革を期待しているという。
第二は事業。知名度が上がっているプールのあるくらし。土地を購入し、家を設計して、家を建てて外構プール工事という事業を軌道に乗せていく。
第三は、土地開発。4000坪の敷地に、駐車場は100台。3階建ての商業ビルからは全ての部屋からプールが見える。地域の人が行きたくなる、話題性の高い収益ビルを作っていく。
株式会社ひまわりライフのモットーは、お客様にとって最大、最良のサービスを提供していくということ。
そのために、お客様の直接の声を聞く。お客様が「こうしたい」という思いを聞き、ヒントをもらい、プロとして自分たちが、さらに美しく住みやすくお手頃価格で仕上げていく。
「思うことは何でも些細なことでも聞かせてください」と話す。
営業マンには、「自信と信念を持って自分の家だと思ってやれ」と。
すさまじい「多動力」を発揮して事業を拡大してきた浦﨑さん。
社長が惚れ込んだ「プールのあるくらし」とは、いったいどんなものだろうか。
第3部 日常にリゾートを。原点は「楽しいわが家」 目指すはホーム&ガーデンクリエーター
2009年、社名を「株式会社ひまわりライフ」に変更。そこから10年、同社は業態を大きく変えていく。外構工事の現場で培った技術と経験と実績をベースに、総合的な建築業としてライフシーンを創出する会社へ。
2015年から本格的に取り組む「プールのあるくらし」もそのうちの一つだ。
3-1 日本にプール文化を広める!という使命感をもって
1999年に創業し、2年後の2001年には、早くも現在と同じ場所にリゾートガーデン展示場をオープンさせた。下請けから脱却し、お客様に直接販売する BtoCを目指してのことだった。
2003年(有)ひまわり造園土木の設立と同時に社屋を建設し、2006年、エクステリア&ガーデンの展示場をオープン。9年間はこの形だったが、2014年これまでの展示場を一掃して大幅なリニューアルオープンをする。続いて2015年、さらにプール付きの庭のあるリゾートガーデンを展示場にオープンさせた。
浦﨑社長の頭の中では、2014年頃からすでにリゾートガーデンを意識していたという。
関東の同業者に、「これまでのエクステリアガーデンに、プールを足したらもっと視野が広がる」と勧められたのだ。
視野が広がるとはつまり、お客様に対してもっともっと良い庭を提案できる。自分たちの「引き出し」が広がる、提供できるサービスの幅が広がる、ということ。プールというアイテムを使って。
早速、社員と共に「プールのある庭」を見学に行き、説明を聞いた。案の定、社員の反応は薄い。
「こんなん売れへん、こんなことする人、いませんよ」
浦﨑社長はその反応にニンマリする。
「社員のみんながイケルというのならば、世の中の人がもうやってるでしょ。ひまわりライフは、みんなが『はあ?』っと思うようなことをやらないと。みんなが右から行こうとするならば、あえて左から行こうとしなければ成長しないんです」
とはいえ、売れなければ商売にならない。その判断はどうだったのだろうか。
「まずは、広めないとダメだと思いましたね。日本にプール文化を広めるんだという使命感。これは僕の事業のいつものパターンで、使命感が重要。使命感がなければ、売ろうという意欲も出てこないんです。『買う人がいるの?』ではなくて、『探すの!』『広めるの!」『呼ぶの!』です」
これまでも、浦﨑社長は「これだ!」と使命感を抱いた商材で販売実績をあげてきた。
毎年、各建材メーカーでは、ガーデンルームオブジェ(商材)を使って、どんな庭を造ったかというコンテストを開催するのだが、社長は2006年から参戦し始め、各メーカーのオブジェをお客様に提案・施工し、各コンテストの金銀銅各賞を総なめにしてきた。2014年は、そのオブジェがプールだったのだ。
「この最大のアイテムで、庭の提案ができる!」
プールのある庭の外構工事は、だれもが簡単にはまねできるというわけではない。カンタンでないことがひまわりライフの優位性を保つことができる。
「可能性が広がるツールを手に入れたんです」と社長は微笑む。
3-2 プールは人と人の輪を広めていく良いアイテム
2015年8月、ひまわりライフにプール付きの展示場が完成した。
これからお客さんにお見せして、売っていける。
『探すの!』『広めるの!」『呼ぶの!』だ。
PRはホームページがメイン。プール付きの展示場を掲載するとアクセスが急増した。マスコミの関心も高く取材が増え、社長はテレビ番組にも登場。学校、病院、企業、宿泊施設などからの問い合わせも多い。
そんな中、記念すべき施工第1号は、2016年10月。
ホームページで見たという人から連絡がきた。
「プールを自宅に作りたい」という幼いころからの夢をかなえるため、ウエブで検索をしていたのだという。ひまわりライフは外構工事もプールも両方できるので、一括して施工を依頼するということになった。
新事業は、文字通りのロケットスタートとなった。
プール付きガーデンは、もちろん敷地は広いほうがいいが、60坪あれば 、家、車庫2台分、プールを造ることができるという。
施工費はプールだけで約600万円。プールサイド工事とあわせトータルで約900万円。もちろん基礎工事を含む。その他オプションで、シャワールームや音響、ライティングなどの設備も充実させることができる。
プールの水量は、3×4mで12,000ℓ。1年間、水は替えなくてよく、蒸発分だけをたしていく。ろ過器が回っているので蚊はわかないし、ろ過装置のフィルターは布製で汚れたら洗うだけ。塩素は年間12,000円。年間の維持費は20,000円ぐらいと意外と安価だ。
メンテも楽。ランニングコストもかからない。YouTubeにメンテ方法など細やかなことも動画配信していることもあり、問い合わせが後を絶たないという。
「プライベートプールを体験すると、ほかのプールへ行けなくなります」
そう話すのは、展示場のプールをファミリーで楽しむお客様。
展示場のプールは、2015年にオープンしてから学校の夏休み期間中、お客様に2時間無料で貸し出している。
連日満員だ。バーベキュー設備も使えるので友人たちを誘い合って集う。ひまわりライフにとっては、多くの人に会社を知ってもらい、親しみを持ってもらう絶好の場となっている。
まさに、プールは人と人の輪を広めていく良いアイテムなのだ。
これまでの2年間で施工実績は12件。今年は年間50件の目標を掲げ、プール事業を核としたホーム&ガーデンクリエーター事業へと本格的に歩み出す。
3-3 光&プールが家族に憩いの場をもたらす。
「家にプールがあると、本当に楽しいんですよ。癒されるし、家族や友達みんなが集まって憩える。フィットネスにも使える。プールがあるだけで人生が変わる。人間らしい関係が取り戻せるアイテムなんです」
そう力説する浦﨑社長。「家」への思いは人一倍強い。
「楽しいわが家」「ほっとくつろげる家」「家族が集って楽しめる憩いの場所」……
これらは、外構工事を通じて、その家の家族を見つめてきた社長の原点・こだわりともいえる。
特に照明へのこだわりは、人一倍強い。
「私たち外構工事の基本設計は、夜になると照明がついていないといけない。照明設備をつけますね。でも、昭和の照明って、スイッチをオンにしないと明かりがつかないわけです。家の人がスイッチを入れ忘れることはよくあることで、例えば夜遅く仕事から帰ってきたご主人さんが、暗い家に入っていかないといけない。そういうことが僕はとっても嫌だった。
そこで考えたんです。基本設計としては、普通、照明は1個ですが、13年前に考えたのは滑走路みたいに足もとが光り輝く家。家の人を光で迎える家です」。
これをお客様に提案すると大ヒットした。光を重視したデザインが次々と誕生した。
そうしてデザイン賞を次々と獲り、「光の匠」とまで言われるようになり、全国で講師をするほどになっていった。
社長のデザインが全国的に通じるようになった原点は「光」にあったのだ。
光が家族に憩いの場をもたらす。見ているだけで癒される、帰りたくなる。光は明日への活力だ。
そして光とプールの融合。
「僕の中では、光り輝かなければプールではないんです」。
こうして、浦﨑社長ならではの、唯一無二、光の競演が幻想的なプールガーデンが生み出されていった。
3-4 日常の中にリゾートを ホームリゾート事業スタート
2019年、ひまわりライフは新たな事業をスタートさせた。
ホームリゾート事業だ。
家、庭、カーポート、そしてプール。家族のコンセプトにあった全体のゾーニング(配置)を決めてから、家を建てる。
土地があって、全体のプロデュースをして、全体の配置を考え、建築士とタッグを組み、施主となって家を建てる。そして、一般や企業に売っていく事業だ。
「家はゾーニング。満足できる住みやすさのためには配置取りが大事なんです」と社長は力説する。
一般的には、「それって当たり前じゃないの?」と感じることだが、実は現実はそうではない。
まず、土地に家を建てる。そして余ったスペースに庭を作る。外構は家造りの一部、という考え方が強いからだ。
その結果、カーポートの一部をカットしないと入らない、洗濯物を干す場所がない、なんていうあり得ないことも起こったりするのだという。
「常識で考えるとおかしいですよね、僕はこういう考え方をくつがえしていきたい。
家造りはデザインも大事なんですが、まずはゾーニング。配置なんです。僕は職人として、たぶん万単位で現場を見てきているので配置の技術を培ってきた。
大規模開発や、阪神・淡路大地震でのがれき撤去も経験しているので、潰れやすい形とか、危ない形とか、この配置にこういうことをすると危ないとかもわかる。太陽の当たり方、洗濯物の乾き方、植木の育ち方など、勉強というより、からだにしみ込んでいる。
配置がよく考えられている家は、住みやすいし、満足度も高いんです。
ひまわりライフは、家を建てるなら、まず全体の配置を考えるという流れを作っていきたい。」
これを実現していくのが、プールのある暮らしを日常に取り入れたホームリゾート事業だ。
2019年6月、神戸市北区にプール付きリゾートホームが完成する。
ひまわりライフがつくる家に注目が注がれている。
(第3部 了)
第4部 安全こそ、未来
4-1 2018年、記録的な台風被害から見えた課題
2018年12月19日、神戸市内のホテルでひまわりライフ恒例の忘年会が盛大に開催された。
日ごろお世話になっている問屋さん、メーカーさん、協力会社さんを招き行う「ひまわり感謝の集い&大忘年会」だ。
冒頭、会場を埋めた大勢のお客様を前に、社長の浦﨑正勝が厳しい表情で切り出した。
「ひまわりライフは、来年は創立20周年を迎え、建て売りエクステリア事業にも進出していく。さらにその先、関西一の売上げを目指す。ところが、2018年は記録的な台風被害に見舞われた厳しい年だった。現場も被害に遭い、その中から課題と未来が見えた。未来のためには安全基準の見直しが必須である。こういう苦しい時こそどうしたらいいのかを、今日はみんなで考えていく場にしたいと思う」
続いて、営業部の荒木が「連携強化の取り組み」について報告を行った。
2018年に多発した災害を受けて、被害実態を洗い出したこと、クレームの起きない会社に向けて情報の見える化・つなぐ化を具体化する冊子『HARUKA』を新しく作成したこと、情報共有アプリを導入したこと、これらを活用していくこと。
そして、最後に「被害を受けた物件状況を見て、社長からは、この世の終わりかと思うくらい怒られた」と打ち明け、「安全こそ未来」と力強く会場に訴えた。
4-2 企業理念「安全管理=営業力」
「安全管理=営業力」、これは、ひまわりライフの企業理念でもある。
17歳でこの業界に飛び込んだ浦﨑社長の体に刻み込まれた「安全」の二文字。
阪神・淡路大震災では大事な人が亡くなったことも見てきた。仲間が怪我をすることも、危険な状況も何度も見てきた。だからこそ言える言葉。
「企業は、安全管理を考えることが繁栄につながる。デザイン力も必要だが安全こそすべてなんです。過去と現実というものを確実にやっておかないと、未来なんて切り拓くことができない。
僕があのパーティーで言いたかったのは、そこなんです。あの時にみんなに集まっていただいた理由というのは安全。安全を語るために集まっていただいたんです」
2018年には、台風の直撃を受けて、ブロック塀が倒れる被害を受けた。決して手抜き工事ではない。
「しかし倒れたことは問題であって、現場管理はどうだったのか、しっかりと理由を考えないと後がないんです。現場をコントロールできていたのか、書面で確認をとっていたのか、マニュアルは機能したのか、素材はどうだったのか。情報共有はできていたのか。僕はあの被害状況を見たとき、生きた心地がしませんでした」
いろいろ悔やまれることも多い。だが悔やむだけでは始まらない。
これからきちんしていくために何を注意して、どこに着眼していけばいいのか。
結果的に、会社に損失が出ないようにするにはどうしたらいいのか。
「そこが、去年の台風以降の半年間、考える期間だったというわけです。現場の職人さんたちをコントロールするために、自分たちがいる。しかし、それができなかったというのは僕の責任でもあるわけです。
4-3 反省生かし、マニュアル『HARUKA』の作成
早速、工事マニュアル『HARUKA』の作成に取りかかった。
「例えばお客様がうちの会社に来店をしてくれて、庭を作って欲しいんですとお問い合わせいただいたら、とりあえず庭を見に行くわけですよ。その時の確認すべきものとして、東西南北はどっちなのか、家はどういう向きで立っているのか、日の入り方はどうなのか、水道が今どこにあるのか、そういう細かいところをまず確実に行うと。
また、各部門の責任管轄が明確になるように、現場管理、現場監督なんかは特に、お客様から工事完了の承認のハンコをいただく、そういう所までやりました」。
情報共有と失敗しないための施工マニアル『HARUKA』は、「自分の家だと思って工事を進めます」という宣誓に、担当者は直筆で自分の名前を書き入れるところから始まる。
内容は実に細やかだ。
どういうふうに設計をしたのか、それを営業と共有する。
お客様とどういう内容の話をしているのか。ヒアリングシート、色ギメ、図面のチェック、チェックシート。
現場が始まってからはクレームのないように、必要なことをすべて具体的に書き込んでいく。
これが工事に渡っていく。施工時期、安全確認、現場のマナー、材料の数量、図面の貼り付け、職人の作業の検査項目。
そして、最後にお客様に工事完了のサインをしてもらう。
浦﨑社長は、「ここまでやっている会社はおそらくないと思う。そして、うちの会社はここまでしっかりとやっているんですと言う営業ツールでもある」と胸をはる。
4-4 社員に未来像を描いてみせるのも社長の使命
現実を着実に歩みながら、浦﨑社長は、社員や周囲に大きな夢も描いてみせる。
「社長というのは、社員の未来というのを見えるようにしておかなければいけない。未来像を見たときに、自分は過去の旧来の考え方にとらわれて、ズルズル引きずられていたら、ひょっとしたら置いて行かれるかも知れないというような危機感社員にも持って欲しいわけです。
そして、未来に一緒に行けた時は、よその会社にいるよりも、他の仕事するよりも楽しい現実が待っていると。」
とはいえ現実が大事。クレームがないのが1番いい。そこが1番大事なんです。クレームのない会社へ、社員はどう行動するのか、上司はどう導いていくのか。
未来を描きながらも、社員一人一人が「安全」を胸に刻み、現実を着実に歩んでいく。
(第4部 了)
第5部 プールが主役の家で、お客様に躍動感を
5-1 プールというオブジェクトでリゾート事業の本格的展開へ
今までやってきたエクステリア事業、つまり造園とか外構工事、これはベースになります。
その発展型として、リゾート事業があります。リゾート事業は、プールという特別なオブジェクトを有して、今後さらに本格的に展開していきます。プールを核に、ジャグジーであったり、高級な屋外用ファニチャーであったり。
言葉的には、プール事業とはっきり言ってもいいんですが、そう聞くと、みなさん、小学校の公共工事のプールを思い浮かべるでしょ。そうではないので、うちが展開するリゾート事業を、「複合プール」「単体プール」と表現しています。
外構でプールだけを設置するのが、「単体プール」工事で、「複合プール」は、プールを起点に周りに、憩いの場を考えたデザインまでも行っていく事業です。ファニチャーに関しては、複合プール事業の中に位置付けています。
プールの引き合いは確実に増えていますね。今年度だけでも、4ヶ月で5ヵ所の設置を行いました。
5-2 オリジナルブランドのファーニチャー関連メーカー展開も
リゾート事業の中で、今年の大きな動きはファーニチャー関係の販売です。
うちが扱うプールにあうデザイン性が高くて機能的な高級ファーニチャーを、海外でOEM生産、直輸入し、ひまわりリゾートブランドで販売していきます。いわゆるメーカーですね。
エクステリア事業の内容もどんどん進化していきます。
プールというアイテムがあって、プールがあることで、これまで庭にあった石や木、置物も進化していくんですね。複合プールということになって、ファーニチャーは、複合プールでの設置に加えて、Bto Bで単体での販売も視野に入れています。
同業者で流通させながら、自社のこれまでの複合プールだったりとか、プールがない造園や外構など、幅広く販売していく予定です。
うちがこの分野に取り組もうと決めたのは、プールに合うファーニチャーが少ないというのと、日本国内で販売されている商品が非常に値段が高いという理由です。
ひまわりリゾートとして、デザイン性の高いアイテムを、お求めやすい価格で販売したいしたいと思って、海外の見本市に視察に行ったんですね。その時に一目惚れしてしまったんです。中でもアニマルファーニチャーに。それは理由があって、庭に置いた時、プールの周りに置いた時の様子が想像できるんです。お客様が感動する顔が。想像できて夢中になってしまいました。どこに置いたらいいかのかとか、見ただけでいっぺんに想像が広がるんです、具体的に。
動物園とか水族館とか大きな施設でないと置けないレベルのものが、一般の家庭にも置けるようにしていきたい。それができるのがこの新しい事業なのです。
そして、うちが求める条件にぴったりあうパートナーと出会うことが出来て、いよいよ新事業のスタートです。これからは、全国の同業者の人たちに、無理のない価格でお求めいただくことが出来ますし、うちとしては、今までになかったような、ひまわりリゾートらしい、おしゃれなプールに合うアイテムを作って売っていくことができます。
5-3 僕の家には3メートルのキリンがいまして
実は自宅に、サンプル用に輸入したアニマルファニチャーを置いたんですね。植栽のところに。高さ3メートルほどのキリンとか。
設置等では見たことがありますけれども、普通の家でこんな大きなキリンがいるのは、僕も初めて見ましたよ。
置いてみてすげぇと思いました。20年もわたって様々な外構工事を行ってきた僕ですら、わくわく感が止まらなかったですね。
で、置いた途端に、本当に予想外のことが起きたんですよ。あり得ないくらいの大勢の子どもたちが集まって、子供だけじゃなくて、おじいさんおばあさん、近所の人たちが家の前でどよめくという。そりゃ、これまでに無いですよね。こんな光景、普通の家に3メートルほどのキリンがいる家って。
小さなキリンもいて、子どもたちが通りすがりに撫でていくんですよ。「おはよう!」ってあいさつしたりね。
なでにくるってかわいいでしょ。
いたずらするというのではなくてね。
近所の奥様には、ありがとうって感謝されたり。
5-4 伝統の技法を守りながら、外構の常識を覆していきたい
なぜ、アニマルファーニチャーなのか、っていうことですが、僕は、例えばこのアニマルでこれまでの常識を覆したいんですよね。
僕たちは、もともと造園屋ですから、例えば昔だったらここに松を植えた、石を置いたという造園の空間があるわけです。それが時代と共に、家の作り方が変わっていく中で、松ではなくなって、石ではなくなって……と変化していくわけですね。
ただ技法というのは変わっていなくて、石の置き方とか。
ですから、そこに置くものが石であってもキリンであっても基本は同じで、奇数で置く、大中小と置く、三角を描く、そういうことできれいな見え方になるという技法を守りながら、これまでの常識を覆してやっていきたいんです。
家も時代と共に進化しているので、それに伴って外構も進化していくのは当然だと思っています。
ところが、僕らが取り組んでいるプールのある家に合うような「新しいもの」がこれまではなかったし、あっても高かったし。だから自分たちで作って売っていこうというのがアニマル・ファーニチャー部門です。
5-5 ひまわりリゾートの商品として販売
パートナーとして組ませてもらったのは中国の企業です。
以前中国に支店を持っていたこともあり、現地とパイプがあるので話を進めたわけです。
ガーデン・エクステリアの巨大な規模の展示会があって、視察に行ったんですね。そこで一目惚れしたファニチャーや動物のオブジェがあって。
現地の会社と商談をして、ひまわりリゾート名で商品を出せるということになり、いわゆるOEMを組んでくれるということで。現地の工場に行って、独占的に販売させてもらえるということになり、じゃあそれでいきましょうということで今回の新事業につながりました。
それにしても中国の展示場はとてつもないですよ。規模も大きいですし。見て回るのに丸3日間かかりました。
しかも、クオリティーやデザイン性も高い。
ちなみにこの展示場ですが、日本人は全くいないんです。主にアメリカ人、ドイツ人、イタリアとか、欧米諸国の人ばかりでした。
日本人って、なぜか、中国製品はあかんと思い込んでいるわけです。
僕らがパートナーを組みたいのは、最上級でありながら、融通をきかすことのできる、そういう会社です。それがたまたま中国の会社だったということですね。 準備ができ次第、ホームページでひまわりリゾートブランドの商品として掲載していきます。
第6部 がんばろう日本 #コロナに負けるな ひまわりライフの取り組み
昨年4月、創業から20年を迎えたひまわりライフ。「リゾートホーム事業」「アニマルグッズのアンテナショップ」と次々と新事業を打ち出し、唯一無二の企業として大きく踏み出そうとした矢先の2020年、年初から新型コロナウイルスによる感染症拡大が全世界に襲いかかります。
この間の動きについて、浦﨑 正勝社長にお話をうかがいました。
6-1 みんなでマスクを作ってお客様に配布。
近隣には復興のシンボルひまわりの種を
ひまわりライフでは、4月中旬、洗って使える布の手作りマスク、名付けて「ひまわりリゾートアニマルマスク」を作って、お客様に家族分お配りしました。全国的にマスクが品薄で買うことができなかった時期ということもあり、多くの方から感謝のお手紙やメール、LINEメッセージをいただきました。
マスクを作る、という発案は僕です。
僕は、何かことが起こるといつも寝ずに物事を考えているのですが、今回は、お客様に何ができるだろうかと考えて、とにかくマスクを作って配ろうと。早速、布やガーゼやひもを買って、僕は裁断係。協力業者さんやその家族、うちの妻と、みんなで作りました。
作ったのは1,000枚ぐらい。「コロナが明けたら、またひまわりライフに来てくださいね」とメッセージを付けてお配りしました。
同時に本社近隣の方には、ひまわりの種を封筒に入れてポスティングしました。12,000袋です。
「こんなことを思いついた」と、社員にLINEして具体化しました。
神戸は阪神・淡路大震災を経験して、焼け跡にひまわりの種を植えようという活動もあって、ひまわりの種には特別の共通意識があると思うんです。がんばろうという気持ちになれるというような、復興のシンボルなんです。
これらの取り組みは反響も大きく、何よりお客様と心と心がつながったという感じがしました
6-2 新チャレンジのリゾートホーム。
売り方を試行錯誤することで独自のノウハウを蓄積していく
リゾートの象徴「プール」を見て過ごすラグジュアリーな住空間。建築士とタッグを組んで、オンリーワンの空間をデザインし、家具家電までトータルでプロデュース。引き渡しのその日から快適に過ごせる夢のようなリゾートホーム第1号が神戸市北区柏尾台に完成しました。
売出し価格は、87,500,000円。
ビジネスで日本に滞在中の拠点にと、海外の経営者との商談も進んでいた「リゾートホーム事業」だったのですが、新型コロナウイルスによる海外渡航禁止で状況は一変してしまいました。
「リゾートホーム」は、ほとんどの人が見たことのない家です。
関西圏には無くて、全国的に見てもとても珍しいタイプです。
ですから、売り方をいろいろ模索して、ノウハウを蓄積していくことが大事。
「リゾートホーム」にアクセスされるお洒落なお客様の感性を更に超えたワンダーを提供し、見た瞬間に気に入って決めていただく、すぐに住み始めることができる。そこはお客様にとってもメリットがあるわけです。
ですからそのためには、どの建築士やガーデンデザイナーとタッグを組むのか、どんな宣伝方法がいいのかなど、スキームをつくっていかなくてはなりません。
例えるなら、「大改造!!劇的ビフォーアフター」というテレビ番組。
アフターの家を見た瞬間に、ご家族が感動して泣き出してしまうという。
ご提供した時点で、お客様が求めることをクリアしなければいけないのです。
プール事業に着手したのは6年前。最初はもちろん全く売れないわけです。どうしたら売れるのかということをずっと考えてやってきました。
6年たった今、プール事業はコロナに関係なく堅調に伸びています。
「リゾートホーム」についても、どういう売り方をしたらいいのか、どういう作り方をしたらいいのかということを学びながら進めていきます。
これまで、造園、外構、ガーデニング、プールと手がけてきたのですが、扱う案件が違うだけで戦略としてはいつも同じです。
ご紹介いただけるお客様とつながっていく。そういう努力をしないとだめなわけです。
新しいチャレンジをするからこそ、新しいノウハウとして会社に蓄積することができるのです。
6-3 まるで保育園!?
コロナ明けの7月上旬「Himawari Resort」大久保店がオープン
昨年11月1日、神戸三宮駅前高架下ピアザ2に、アニマルファーニチャーを販売するアンテナショップ「Himawari Resort」がオープンしました。賑やかな駅前の中でも、特に大勢の若者が行き交うエリアです。
1月ぐらいから、ようやく軌道に乗るのかなというところにコロナです。緊急事態宣言を受けて、店は完全に閉めました。もちろん収益は見込めません。
ただ、コロナ明けに向けて準備はずっとしていたつもりです。
ショップのオープンまで、1年間ぐらいは商品のラインナップを決め仕入れる、というところで必死でしたから、一度立ち止まって、売り方を考える良い機会でした。
5月の後半に再開しましたが、いまだ、まち自体にお客さんは戻ってきていません。
とはいえ、三宮の「Himawari Resort」は、アンテナショップなので、そこで儲けるというよりは、広告宣伝の意味合いが強い。自粛要請までたった3カ月間でしたが、テレビの取材もありましたし、ウェブやインスタグラムでの発信も行い、ずいぶんといろんなところに広まりました。
実は、7月上旬、神戸に次いで明石市大久保駅前の北側ロータリーに面した場所に、「Himawari Resort」大久保店がオープンしました。形態はフランチャイズ(FC)です。
駅前なので自家用車での送迎が多く、周辺は住宅着工件数が伸びているエリアです。
車を横付けして大きいアニマルもご購入頂きそのまま持って帰れますし、倉庫までは車で20分ほど。お客様が欲しいとおっしゃるアニマルをすぐに取りに行けます。
大久保店のコンセプトは保育園なんです。
その場所自体が完全に保育園に見えますよ。吸い込まれるように入りたくなるお店です。
以前にも書きましたが、アニマルたちは地域の人たちを笑顔にします。楽しんでもらえます。
実際、僕の家には3メートルのキリンがいまして、植栽のところに。
置いてみてすごいと思いました。置いた途端に、大勢の子どもたちが集まって、子どもだけじゃなくて、おじいさんおばあさん、近所の人たちも。
子どもたちが通りすがりに「おはよう!」ってあいさつしたり。
アニマルフオブジェには、そういうチカラを持っているんです。
ぜひ、明石大久保店に足を運んでみてください。
コロナ禍があって、店も閉めていて、本当は新しいことをしないでとどまっておきたいというのが一般的なのかもしれませんが、逆に僕はお金を借りて攻めていく時だと思っています。
アニマルのオリジナル商品も充実してきました。いずれ、商品の8割は我々が作ったものにしていきたいですし、FC展開も広めていきたいと思っています。
6-4 コロナで「家」の在り方が重要視される中、
「プールのある家」に注目集まる
プール事業は、コロナに関係なく引き続き好調です。
施工も関西圏でとどまらなくなってきました。コロナ以降、新しい生活で「家」に注目が集まっていることもあり追い風が吹いています。
最近では、故郷に戻ってプール付きの大きな家を建てて暮らすという方もいらっしゃいました。
問い合わせが絶えません
お客様からのご紹介、ウェブをご覧になった方、ゼネコン、ハウスメーカー、同業者関係…いろいろな方から問い合わせが来ます。
プール付きの家という話題になると、とりあえず、ひまわりライフに問い合わせが来るという状況になっているのですが、ノウハウで先行しているので他社には負けないという自信もあります。
たとえば、パンフレット。プール事業をするにあたって何を伝えるべきか、相手が何を知りたいか、これだけ充実した内容で作っている他社はないと思います。
経験でしか表現できないことがいっぱいあります。1冊のパンフレットですが、実はいろんな人にフォーカスを当てています。建築士であったりとか、ゼネコンの工事監督であったりとか、今からプール工事をしたいと思っている人であったり。どの人が見ても何かがマッチングするという内容にしています。
今年は、コロナの影響で、学校や施設でのプールが中止になっているところが多いです。
ひまわりライフでは、本社のプールを、コロナ対策を十分に行ったうえで、例年通りお客様に楽しんでいただけるように準備を進めています。
6-5 アフターコロナの生活様式を提言。
ドーム型テントを直輸入。家族で自然を満喫して
昨年ぐらいから、空前のキャンプブームと言われていたのですが、新型コロナがその傾向に拍車をかけたように思います。
キャンプ初心者に人気なのはグランピングで、ドーム型のテントにベッドやテレビなども完備されていて、手軽にアウトドアを楽しむことができます。
僕たちはこの分野への進出も始めました。
中国からアニマルと一緒に、テントを直輸入して販売します。これ自体はどこよりも安価で出せるようにしようと考えています
アニマルたちの倉庫が兵庫県加古郡稲美町にあるのですが、その広大な敷地内の一角にモデルとなる展示場を作っています。「Himawari Resort」大久保店から車で20分ほどですのでぜひ、こちらにも足を伸ばしてください。
単にテントを販売するだけでなく、ドームの中にベッドがあってテレビがあって、周りには植木があって、バーベキューができて、芝生がありキリンがいて、プールがありというようなクオリティのガーデニングも考えています。
アフターコロナの新しい生活への提言の1つです。
ぜひ、家族で自然を満喫してほしいと思っています。
(了)
第7部 ニューノーマル時代に注目集まるおうちリゾート。誰も見たことのない世界を拓いていきたい
コロナ禍に見舞われた2020年は、人々の価値観を大きく変革させました。
移動したり、集団で会ったりというリスクを回避しながら生活する「ニューノーマル」時代となったのです。
この変化は、ひまわりライフにどのような影響を与えたのでしょうか。
浦﨑 正勝社長に聞きました。
7-1 うちで過ごす新しい時代。家の庭のリゾート化に注目高まる
2020年、時代は大きく変わったと実感しています。
ひまわりライフがプールに取り組んだのは2014年。それから6年が経ったわけですが、この間、プールガーデンをはじめ、ひまわりリゾートブランドのガーデンファニチャー、アニマルオブジェ、そして昨年後半からはグランピングと、ホームリゾート事業を拡大してきました。
6年やってきて、今、「家の庭に対して、『遊ぶ場』としての注目が高まった」という大きな変化を感じています。
昨今のこういう状況のなか、今までのような遊び方ができません。海外にも行けませんし、国内のリゾート地にしても移動にはどうしてもリスクを負ってしまう。
加えて、時間ができましたね。
それならば家の庭をリゾート化しようと。
プールがあったり、キャンプをしたり、バーベキューをしたり。
そう考える方が急激に増えたと感じています。
思えば、2020年の前半は、コロナ禍の影響を大きく受けていました。
関西3府県では4月7日~5月21日まで緊急事態宣言が発令され経済活動もストップ。
2019年11月1日に神戸三宮駅前にオープンしたアニマルファニチャーを販売する「Himawari Resort」は宣言を受けて休業し、その後、撤退しましたし、海外の経営者との商談も進んでいた「リゾートホーム」第1号の物件は海外渡航禁止で状況が一変してしまいました。
この時期、私たちは何をしていたかというと、洗って使える布の手作りマスク「ひまわりリゾートアニマルマスク」を社員、協力業者さん、その家族で作ってお客様にお配りしたり、本社近隣の方にひまわりの種を入れて12,000袋をポスティングしたりしていましたね。
「コロナが明けたら、またひまわりライフに来てくださいね。今は、共に頑張りましょう」という思いを込めて。この取り組みには、多くの方からお手紙やメッセージをいただくなど反響も大きく、何よりお客様と心と心がつながったという感じがしました。
7-2 好調なプール事業。ますます多種多様で個性的に。求められる高い施工技術
緊急事態宣言中はマスクやひまわりの種を配ったりしていたんですが、自粛中に「おうちリゾート」への関心が急激に高まっていき、明けると同時に問い合せも急増し猛烈に忙しくなっていきました。
プール事業の施工実績に関しては、インスタやウェブサイトにもアップしているので、ぜひ見ていただきたいのですが、
・プール床面の一部をアクリル張りにした屋上プール
・リノベーションした古民家にプールを組み合わせた非現実的なリゾート空間
・温水機能付きリハビリ屋内デザインプール
・和モダンなプールハウス
など、ただ単に庭にプールを作るというのではなく、多種多様で個性的な施工が増えているのも最近の特徴です。
初めからプールを組み込んだ家を作り、家で遊びたい、くつろぎたいというご要望に変わってきています。
そうなると、ますます高い施工技術が求められるようになってきます。
「プールの床面一部をアクリル張りにした屋上プール」のリフォームは勝負どころでもありました。水漏れしていた屋上プールの水漏れを止めて、建築時に設置されていたアクリルにシートを張るという難しい工事でしたから。しかしそれに恐れていたらできないわけですよ。おかげで、誰が見ても「すごい!」と感じていただける実績を残すことができました。
実際に見たら、本当に気絶するようなすごいプールですよ。世界が違いすぎる感じです。
7-3 グランピングリゾート施設の建設開始
密を避けて、手軽に少人数で自然を楽しめるグランピングが今、空前のブームです。
ひまわりライフでは、昨年いち早くドーム型のテントハウスを海外から直輸入し、ひまわりリゾートブランドとして販売を開始しました。単にテントを売るだけではなく、ドームの中にベッドがあってテレビがあって、周りには植木があって、芝生があって、バーベキューができてという「おうちグランピング」を提言し、イメージしていただけるように兵庫県加古郡に展示場も作りました。
この事業が、大きく羽ばたくことになりました。グランピングリゾート施設の建設というかたちで。
観光都市・淡路島に新たに誕生するこの民間施設は、密を避けながら誘客できる場として、地域に貢献できるものと信じています。
思えば、高2の夏休みに、造園工事のアルバイトに行ったことからこの業界に入り、造園業からスタートし、外構工事会社を立ちあげ、プールを作ったり、アニマルを仕入れたり、ファニチャーを作ったり、そして、グランピングと手がけてきて、今の段階での集大成ともいえる工事を手がけることになりました。
7-4 「あの、リゾートホームが売れた!」業界からも注目集まり新たな展開へ
神戸市北区に建てた「リゾートホーム」第1号ですが、こちらも無事、売れました。
リゾートの象徴「プール」を見て過ごすラグジュアリーな住空間。建築士とタッグを組んで、オンリーワンの空間をデザインし、家具家電までトータルでプロデュースしたこの物件は、ほとんどの人が見たことのない家です。
全くないものをゼロから作り上げていったんです。
見たことのない家ですから、そもそも、説明して理解していただくことから始めなくてはいけません。売れるまでに時間がかかる、当然のことですね。
ひまわりリゾートブランドで初めて手がける物件ですから、売り方をいろいろ模索して、ノウハウを蓄積していくことがとても大事なことで、実際に手がけて販売できたことでお客さんが求めているものが見えてきました。
うちの建売住宅のイメージも多くの人に認識いただくことができ、実はすでにリゾートホーム第2号の計画も進行中で、2月に着工の予定で進めています。
ほかにも、新たな動きも生まれてきました。
うちと同じようなことをやりたいという不動産業者さんから問い合わせがあり、実際に物件も見ていただき、その上で「これだったら面白い」と、その業者さんの地元での展開が始まろうとしています。
あの物件が売れるのか売れないのかという動向を、同業者の皆さんはかなり注目していたのだと思います。
7-5 この機会を逃さず工事をきちんとこなし、基本に戻って未来を見据えていきたい
2020年から世界的に、急激に時代が動いて人々の感覚にも変革が起きました。この機会を逃さずに、ひまわりリゾートは、ホームリゾート事業のダントツナンバーワンということを強調していきたいと考えています。
ウェブサイトから資料請求いただいたお客様には、手がける各分野のガイドブックを5種類お送りできるように準備を進めています。
ひまわりリゾートの事業は、もっともっと大きくなっていきます。
もはやエンタメ事業ですね。プール、ファニチャー、アニマル、どれも日常生活にはいらないものばかりです。家を作るにしてもかっこいい家しか作らない。普通じゃない家なんですから。
そんな私たちにお客さんは魅力を感じてくれるのかもしれません。
だんだん会社の未来がどういう方向に行くのか分からなくなってきたというのが正直なところです。
20年前、会社を起こしたときに、まさかカタログに、プールや、リゾートハウスや、グランピングやといった施工事例を載せる会社になるとは全く想像していませんでしたから。本当に夢にも思っていなかった。不思議なんです、いまだに。
トラック1台で、植木を切っていた自分がここまで来た。とにかく目の前のことに一生懸命取り組んできたということに尽きるのですが。
工事内容が変わっても、変わらない基本があります。企業理念の「安全管理=営業力」。安全こそ未来という点です。
それは、今回のリゾート事業にも大いに生かされています。
ひまわりリゾートが手がけていることは新しいことです。
ですから、うちはパイオニアとして安全ルールを確立し真摯に対応していく。お客様には安心してリゾートを楽しんでもらう。それが実績につながるわけです。
企業は、安全管理を考えることが繁栄につながる。デザイン力も必要ですが安全こそすべてなんです。確実にやっておかないと、未来なんて切り拓くことができないんです。
安全がマスト、安全がマストであり基本。
社員はもちろん、施工をしてくれる協力業者さんも皆この安全意識を持ってくれないといけないわけです。そこは言い続けないと定着しないんです。
2018年に記録的な台風被害を受けて対応に追われるなか、ひまわりライフでは根本的に安全対策を再構築しました。同じような災害が来てもしっかりと対応していける自信があります。
大きな工事も増えてきました。
これらの工事をきちんとこなしていくことが大事。社長の僕は今年は現場監督です。しっかりと工事をやっていく。
基本に戻って未来を見据えていきたいと思っています。
(第7部 了)
第8部「バケーション」をキーワードにイノベーションを起こす
自宅のお庭に「プール」のあるラグジュアリーな暮らし、建築士とタッグを組んでゼロから作り上げたオンリーワンの「エンターテインメントホーム」……これまで、誰も見たことのないような洗練された空間を次々と生み出し、外構、エクステリア、ガーデンリフォーム業界にイノベーションを起こし続けているひまわりライフの浦﨑正勝社長。
世界中が新型コロナウイルスに翻弄された2年間だったにも関わらず、同社は大きく業績を上げてきました。この間、どんな取り組みをしたのでしょうか。また、コロナ後はどんな事業展開を視野に入れているのでしょうか。
浦﨑社長に伺いました。
8-1 兵庫県に完成したエクステリア展示場は、テーマパークのような楽しさ
2021年11月、兵庫県稲美町に「ひまわりライフ」の全てがわかる「ひまわりリゾートエクステリア展示場」が完成。総工費8,000万円をかけ、浦﨑社長自らが設計デザインした展示場はまるでテーマパークのよう。
打ち合わせ用のおしゃれなコンテナハウス、3×7メートルの家庭用プール、ガーデンファーニチャー、プールサイドの大型ディスプレイ、冷暖房の設置も可能で室内のように快適に過ごせる全長7メートルのドームテント、木の香りが心地よいガス式サウナ、ジャグジー&東屋、魅せる物置がキャッチフレーズのマツモトモノオキなど、ワクワクが止まらない大人も子どもも楽しい桁違いのプライベート空間の数々。すべてが体験可能で、実際に見て感じて遊んでみる、そんな展示場になっています。
移転前、神戸市にあった展示場とは全く異なるイメージとなった新展示場。浦﨑社長によると、これには理由があると言います。
「ひまわりライフのエクステリア部門は『変わった』ということを、一瞬で感じてもらえる場にしたかったんです。コロナ禍のこの2年間で人々の生活様式も意識も大きく変化しました。これまで常識だと思って疑わなかった価値観も変化しました。
それによって、当社が提案し手がけてきた『プールのある暮らし』やオンリーワンの『リゾートホーム』などへの評価軸も変化し、より大きな案件を手がけ、実績を上げることができる会社へと成長してきました。
ここ2年で、会社の形態がガラッと変わったんです。
この状況に一番戸惑っているのは、実は社員かもしれません。
だから、展示場もイメージを一新させたかったんです。
それと、家族でここに訪れて、プールで遊んで、サウナを体験して、特に子どもさんには良い思い出を作っていただけたらいいなあと思っています。お客様の喜ぶお顔を思い浮かべながら設計していたら、どんどんイメージが膨らんできて、止まらなくなってこの展示場ができたって感じですね。作っている自分が一番楽しんでいましたけど」と話してくれました。
8-2 コロナ禍は、逆風でもあり、追い風にもなった。大型案件を次々と
2021年5月、観光地として人気が高い淡路島に「グランピングリゾート淡路」が完成しました。
「ひまわりライフが手がけたこの施設は、淡路エリア初のドーム型グランピング施設で、広々とした7つのカラフルなドームテント、ハート形のプールを配置したオーシャンビュー、おしゃれなガーデンファーニチャー、美しい光の饗宴と、まさにひまわりライフらしさが随所にちりばめられた民間施設となりました。
密を避け、個性的な旅行がしたいという昨今のグランピング人気もあり、注目のスポットとなっています。車で淡路インターを降りて左折すぐ、昼間はカラフルなテント、夜間はライトアップが美しいグランピングリゾート淡路で、ぜひ、ラグジュアリーなグランピング体験を楽しんでみてください。
また、同年10月には、明石海峡大橋が一望できる淡路市岩屋に、当社が手がけたプール付きのリゾートヴィラが完成しました。プールと光の競演で、幻想的な空間を生み出すひまわりライフらしさあふれるヴィラです。
思えば、神戸市北区に当社がはじめてリゾートホームを建てたのは2019年。金融機関も同業他社も、社員ですら、売れるはずがない、と思い込んでいたこの物件が売れたわけです。当初は外国の方向けに建てたのですが、コロナで軌道修正せざるを得ない状況に。しかし、自粛生活が長引くなかで、多くの人が想定外の長期休暇状態になり、自宅でのラグジュアリーな過ごし方に注目が集まることになりました。
当社にとって、コロナ禍は、逆風でもあり、追い風にもなったのです。
おかげさまで、従来のプール事業も引き続き好調で、2021年、当社の売上げは前年比で倍増という結果を残すことができました」
ホームページへのアクセスも急増していて、特にプール事業への資料請求はほぼ毎日のようにあるといいます。
「このサイトをさらに進化させて、ゆくゆくはVRでプールやドームテントのサイズまで体感できるような仕組みにしていきたいなあと思っています。説明資料も、もっともっと分かりやすく改訂していきたい。ウェブと紙と展示場と、あらゆる媒体を駆使して、当社が目指すワクワク感をお客様と共有したいんです」
浦﨑社長が「したい」と話したことは、1年後には実行に移されていることが多い。
こちらも要注目です。
8-3 長期休暇をゆったり過ごす『バケーションハウス』で地域貢献
コロナ後はどんな事業展開を視野に入れているのでしょうか。
「これまで、海外渡航ができなかったわけですから、やがてコロナが終息したら、大勢の外国人の方が日本に来るでしょう。また、日本人にとっても、働き方や意識はすでに変化し、長期休暇をどう楽しむかというステージになっていると思います。
ですから、長期で過ごし、楽しめる場所を提供することが、今後、当社が取り組むべき事業と考えています。
僕は、神戸で育った人間ですから、その意味でもやはり、淡路島に貢献していきたいんですね。関西圏からも近いリゾート地なので、アクセスが良く、まだまだ楽しみ方があると思っています。
本当に素敵な場所です。
食べ物も美味しいし、景観も最高。
都会暮らしの人や、外国から来た人たちが、移住や別荘地として住んでみたい、そんな人向けの事業です。
神戸市北区で建てたような、設計から家具、電化製品に至るまで、まるごとデザイナーが作る家。もちろん、プール付きです。
150坪とか、中には1,500坪という土地に計画中で、事業を通じ、にぎわいづくりなど地域に貢献できるよう、地元の皆さんとていねいに進めています。
長期休暇をゆったり過ごす家として、僕はこの事業を『バケーションハウス』と名付けています」
8-4 地域ににぎわいとワクワクを。『バケーションタウン』構想の実現へ
このほど完成したばかりの「ひまわりリゾートエクステリア展示場」ですが、もう、次の場所に引っ越すことを考えているのだそうです。
「やっぱり、地元神戸に貢献したくて。今春には事業をスタートさせたいと思っています。
ひまわりライフの本社ビルと、レストランや健康施設、フィットネスも入っているにぎわいの拠点のような複合施設を作りたい。
以前から構想として持っていて、ここに来て、いろいろな事業が着実に動いているので、金融機関等からの信頼も高まってきました。
人がやっていないことをやっているからうちの会社は伸びているのだ、ということを金融機関に認めてもらえるようになったのは大きい。
外構工事、エクステリアも、もちろん重要な事業の柱で大事にしています。が、それだけでは会社は今以上にはなれない。先のことを考えて将来的な種まきを、ここ数年でだいぶできたのではないかと思っています。
今度、神戸で行おうとしている事業は、地域の人たちに楽しんでもらえるアミューズメントパークのようなイメージです。しかも、これまでのひまわりライフのノウハウを生かした、誰も見たことのないようなまちを生み出し、にぎわいを作り出そうという構想なんです。
これは、『バケーションタウン』と呼んでいます」
神戸のバケーションタウン構想は、今春には具体的に動き出したいと話す浦﨑社長。これに先立ち志を同じくする全国6社で、昨年11月に株式会社f.f.Vacation Houseを設立。
「これまで、リゾートハウスと呼んできた100坪位の案件は、今後バケーションホームで、1000坪位の規模はバケーションタウンとして開発していきます。
全国の志を同じくする会社と連携をし、ゆくゆくは全国展開していきたいと思っているんです。
『バケーションタウン○○』『バケーションハウス○○』というように。
8-5 アイデアを思いついたら、結果が出るまでがんばりノウハウを積み重ねる
常に世の中の一歩も二歩も先を歩き、唯一無二の事業を行っている浦﨑社長。その発想は、どこから来るのでしょうか。
「僕は、20代、30代のころって、ほとんど家に帰らなかったんです。会社でずっと図面を書いていました。
がんばって、結果が出ることがとても楽しかったんです。
結局、がんばらないから、結果が出ない。
結果が出ないから、楽しくない。
楽しくないから、これでいいって諦めてしまう。
ということだと思います。
つまり、世の中の一歩も二歩も先を歩いているわけではありません。アイデアを思いついたら、結果が出るまでがんばるだけです。
例えば、神戸市北区のリゾートホーム、コロナ禍が追い風になったという理由だけではありません。
全くないものをゼロから作り上げて、だれも見たことのない家ですから、そもそも、説明して理解していただくことから始めなくてはいけません。こちらもはじめて手がける物件ですから、売り方をいろいろ模索して、ノウハウを蓄積していくことがとても大事なことでした。粘り強く模索して、お客さんが求めているものを把握していきました。だから、第2号、3号ができたんです。
売れないだろうとチャレンジしなかったら、そもそもゼロのままですから」
8-6 これからもお客様とともに。ひまわりライフで良かったと言ってもらえるように
「バケーションタウン」も「バケーションハウス」も、実はお客様のため、と話す浦﨑社長。
それはどういうことなのでしょうか。
「経営者としての僕の思いは、常に、お客様の満足度を上げるということなんです。
これまでひまわりライフに関わってくださったお客様に喜んでもらえるような、例えば、カーポート工事をさせていただいたけれど、そのお客様には『バケーションタウン』内の施設での利用料金を10%オフにするとか、そういうことを通じてひまわりライフでやって良かったと実感してもらえるようなことをしていきたい。
これまでも、お客様とのお付き合いは一度きりというわけではなくて、夏場に展示場のプール施設を無料開放したり、ガーデニング教室をひらいたりしてきました。皆さん、本当に喜んでくださって、『来年もあるの?』って聞かれるんですが、来年だけじゃないんです、永遠にあるんです、うちの会社がある限り。
次に移転した先でも、お客様に施設開放はしたいですし、今のこの施設もこのままにしておくので、お客様にはここで楽しんでいただけたらと思っています。
会社の基本は常にお客様の利益を考えて事業を行うことだと思っています。特にうちの場合、お客様がお客様を呼んでくださるんですね。
一般的に、新規のお客様に目が行きがちです。
僕は、新規のお客様と同時に、ひまわりライフをここまで育ててくださった従来からのお客様と共に、お客様に楽しんでいただき、長くお付き合いしていただくということをいつも考えています。
大きな工事も増えてきました。
しかし、基本は『安全』です。お客様には安心して楽しんでいただく。
2018年、当社は記録的な台風被害を受けて対応に追われるなか、細やかなマニュアルを作るなど、会社の考え方や体質も変えるという取り組みをしました。あの難局をしっかり乗り越えたということが、結局今回、新型コロナウイルスというもっと大きなことに対しても乗り越え、売り上げを伸ばすことができたと思っています。
ひまわりライフとしての夢をお客様と共に実現していくためにも、これからも、小さな違和感を見逃さずに、お客様の利益のため、安全を第一に考え事業を展開していきます。
『バケーションハウス』『バケーションタウン』を楽しみにしていてください」
ありがとうございました。
(第8部 了)