23歳で独立し、はじめて作った1枚の黄色いチラシから、電気設備工事会社の下請けになった。チャンスを逃すことなくロケットスタートを切った「ひまわり造園土木」。
仕事も多く受注し収益も安定してきた。
だが、ここで満足しないのが浦﨑流。
神戸市に最新の外構設備を整えたおしゃれなエクステリア&ガーデンの展示場の会社があった。
ここに飛び込み営業に行く。
会社には、たまたま一人、社長だけがいた。
「何や?」
「この会社の下請けで働く職人の下請けで植栽関連の仕事をさせてください」
「お前みたいな若造に何ができるんや」
「何でもします」
「なんぼいるんや」
「いくらでもいいです」
「1日12,000円でええんやな(軽トラ・道具などの経費込み)。じゃあ、下請けの親方衆に声をかけとくわ」
「はい!」
即答だった。当時、浦﨑さんはすでに、1日売上10万円位の仕事をしていたにもかかわらず。
こうして、この外構業者の下請けの下請けとしての仕事もすることとなる。
直後から親方衆からの仕事の電話があちらこちらからかかってきた。なんせ、12,000円。格安だ。
「安くても構わなかったんです」
目的があった。外構工事の勉強をするためだった。
外構工事だけではない。デザインの描き方、営業、チラシ作りや新聞折込、ポスティングなどの販促活動など、学ぶことはたくさんある。夢中で勉強し身につけていった。
命がけだった。植木工事と外構工事、両方をこなしていくと休みはほとんどなかったが、本気で外構工事を学んでいった。
「お前みたいな若造に何ができるんや」と言った社長だったが、周りには「浦﨑は大物になる。度胸が違う」と話していたと人づてに聞いたのは、ずいぶん後になってからだった。