浦﨑さんには忘れられない思い出がある。
親方の会社で仕事を始めて1日目。
神戸市北区鹿の子台のマンション開発の現場。
山のように積まれた「ホワイトローム(土地改良材)」と「兵庫のバーク堆肥」500袋。ただひたすら現場写真を撮る助手をするのが仕事だった。
袋の山に座って一人、弁当を食べた。母親に作ってもらった弁当。容赦なく照りつける太陽。疲れ切っていた。
「16歳で高校やめて申し訳ないなぁ。高校のみんなは何をやっているのかなぁ」
両親を思い、友だちを思い、後悔した。
しかし、それも一瞬だった。
次の瞬間には、もう逆のスイッチが入っていた。
「やるしかない。1日8,000円や。今は友達より稼ぐんや!リッチになるんや!」
めらめらと燃えさかる炎が見えた。まるで劇画のように。
「夏休みのアルバイトで、すっかり親方に洗脳されていたんですね」と笑う。
「働いたら金になる」「学歴やない」「1分1秒を大事にしろ」「言いたいことは厳選して報告しろ」は親方の口癖。
少年にとって、親方は思い描く人材像だった。
16歳で働き始めた少年は、めきめき力をつけて、18歳のころには現場では管理者になっていた。
当時としては珍しい携帯電話もいち早く持っていた。
よく働き、金をもうけて、よく遊ぶ浦﨑青年は、20歳で結婚する。
短大を卒業後、百貨店で働く3歳年上の女性。
妻の父親は大反対。目も合わせてもらえなかった。
「幸せになりたい。もっと稼ぎたい」結婚も仕事の原動力になっていった。
子供は息子が2人(21歳大学生と17歳高校生)。
自ら、がむしゃらに生きてきた。でも、息子には息子の生き方がある。
息子たちが当時の自分の年齢になってくると、経験と重ねあわせながらどう育てたらいいのかと自分の人生を分析している。
16歳で高校を中退し、「金持ちになりたい」という気持ちを原動力に、仕事をしてきた。楽してはだめだ。
42歳になった今思うことは、これから先も努力して限界を超えていったらどれぐらい成果があるのだろうか。やりたいことはまだまだある。